2009年11月05日

関山仙太夫

信濃国松代藩士の関山仙太夫は江戸時代の素人の碁打ちとして最強と目されています。
 
本因坊秀策と先番で20番碁を打って7勝13敗は立派な成績です。
(秀策がどこまで本気で打ったかはわかりませんが)
 
1784年の生まれ 1859年に死去。
 
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2009年11月03日

安井算哲

江戸時代の囲碁の家元、安井家の始祖。
11歳のときに徳川家康から30石を与えられました。
 
二条城で徳川秀忠の御前で中村道碩と対局したのが、江戸時代にずっと行われた御城碁(将軍の御前試合)の最初と言われています。
 
 
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2009年11月02日

本因坊秀策

ヒカルの碁ですっかり有名(ヒカルの前に佐為が憑依)になった本因坊秀策。
実際は本因坊家の跡目ではありましたが家督を継ぐ前に亡くなったので正確には「本因坊跡目秀策」。
 
徳川幕府の将軍の御前試合(御城碁)で19勝0敗の不滅の記録を残しました。
 
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2009年11月01日

本因坊丈和

江戸時代の棋士 十二代本因坊。
 
前聖=本因坊道策
後聖=本因坊丈和
 
と称されていました。(後に後聖は本因坊秀策を指すことが多くなりましたが)
 
道策が理論・考え方で際だっていたのに対し、丈和は圧倒的なパワーで目を引きます。
 
当時の碁界の政治的な争いも絡んだ赤星因徹との対局でみせた「丈和の三妙手」は有名で、対局中に赤星因徹は血を吐いて倒れこの碁は「吐血の局」と言われています。
 
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本因坊道策

江戸時代初期(17世紀)に活躍した本因坊道策は、近代的な囲碁理論の創始者であるとともに、同時代に敵なしの圧倒的な強さを誇り、現代からみても、史上最強とみる人もいるほどです。
 
琉球ナンバー1の打ち手、親雲上濱比賀に四子を置かせて打ち、1勝1敗。
それで「七段に二子の三段」と認定。自身は七段よりさらに二子強いと自認していたわけです。
 
現代、世界でも流行しているミニ中国流の考え方を17世紀に考え出したのは驚くべき先進性でした。
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本因坊算砂

信長、秀吉、家康の三代の天下人の囲碁の先生で、江戸時代の最大の家元、本因坊家の開祖。
 
もともとは京都の寂光寺の僧侶で日海といいます。「本因坊」は、日海がそこに澄んでいた寂光地の塔頭の名前です。
 
信長から名人と言われたのが、名人という言葉の由来とも言われています。
 
家康から碁所・将棋所に任ぜられ、後に将棋所は大橋宗桂に譲りました。
 
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